校長室から

2021年5月の記事一覧

掃除も大切な学習時間!

 海外の国々では児童に学校清掃をさせることは多くありません。これは、ほとんどの国にとって清掃は「作業・職業」であり、「学習内容」ではないためだとされています。世界105カ国を調査した出典によると、児童生徒が掃除を行う国は34.3%、清掃員に掃除を任せる国は58.1%となっています。
 例えば、アメリカでは大部分の学校で清掃員が学校清掃を行っています。これは「作業を清掃員に任せることで児童生徒が本分に集中できる」という考え方にもとづいており、児童生徒自身が学校を掃除するべきという考え方は主流ではありません。その一方で、生徒がゴミを拾わない、机にチューインガムが貼り付いているなどの、生徒に掃除をさせないゆえの問題点も指摘されています。これは決して児童生徒に常識が無いということではなく、「掃除をする人の仕事を取ってはいけない!」と言われて育ったという背景もあります。このような現状から、児童生徒による学校清掃を取り入れるべきだという声も増えているようです。
 そのような状況に対して、新たに学校清掃を導入した国がシンガポールです。従来はアメリカと同様に清掃員を雇うことが一般的でしたが、2016年に生徒に毎日の清掃を義務付ける政策を実施しました。シンガポールの教育省MOEは、「日本や台湾にならって学校清掃を導入した」と明言しています。この政策に対する国民の反応はさまざまで、「子どものしつけになる」「経費削減になる」と賛同する人もいれば「勉学に支障が出る」「雇用が減る」と懸念を示す人もいるようです。 
 では、日本は当たり前のように根付いている学校清掃の文化は、どのようにして始まったのでしょうか。その起源だとされる要因は大きく2つあります。1つは剣道、柔道、華道、茶道などの「道」の存在で、もう1つは仏教です。
 剣道や柔道の経験者なら分かる人も多いと思いますが、武道の世界では稽古場をきれいに保つことをとても大切にしており、稽古の前後には必ず道場を掃除することで心を磨くとされています。
    また、仏教の修業は「一に作務、二に勤行、三に学問」といわれています。そして、一の作務の代表的なものが掃除です。このことから、僧侶の修行においてはお経を読んだり勉強をしたりするよりも掃除のほうが優先順位が高いということが分かります。
 これらによって仏教や各武道などが古くから盛んだった日本では学校清掃が当たり前となり、自分の場所を自らの手できれいにすることを学ぶようになったようです。
 日本人が協調性や思いやりを高く評価されるのは、学校清掃による学びのおかげもあるといえるでしょう。学校で児童が取り組む掃除時間は1日に15分。しかし年間で考えると約60時間。教科に相当する時間にもなります。
 自分の手で学校の掃除を行うというとても小さな一歩から、自分の使う場所を綺麗に保つ・物を大切にする気持ち、一つの事を他者と協力してやり遂げる協調性、自分が卒業したあとに同じ場を使う他者を思いやる気持ちを、この時間から有効に学ぶことを期待します。

    

 

ルールからマナーへ

 学校生活を送る上で「きまりを守る」ということがあります。社会にルールがあるように学校にも様々なきまりや約束があります。
 「きまりを守りなさい」とよく言われますが、何のためにきまりがあり、なぜそれらを守る必要があるのでしょうか。また、きまりを守るために必要なものとは何でしょうか。
    きまりや約束は、学校という集団生活の場で、お互いが気持ちよく過ごせるようにするためにあります。それらを守らないと、周りに迷惑をかけてしまいますし、それが、やがては自分に返ってきます。学校は、きまりを守ったり、たくさんの人とかかわったりしながら社会性を身に付ける場でもあります。
 子ども達を見ていると「先生が言ったから」「きまりを破ると怒られるから」といった受け身な考えでいる子どももいます。しかし、初めは受け身な考えでいても、繰り返し失敗を克服していくなかで、「お互いが気持ちよく生活すること」また「自分自身の判断が大切」ということを学んでいくはずです。そのためには、大人が良い行いを褒めたり、失敗したら何がいけなかったのかを一緒に考えたりすることが必要です。失敗と成功の体験の積み重ねが心を育て、判断力を育てることにつながります。このことは学校だけ、家庭だけでできるものではありません。力を合わせてじっくりと時間をかけ、継続していくことが大切です。
 松尾小学校では、「無言清掃」「サイレントゾーン(静かに歩く)」「ノーチャイム」等の取組みも2年目になり、成果を上げています。「やればできる」子ども達です。これからも、子ども達にはその他様々なきまりや約束を守ることをとおして、みんなが気持ちよく生活できるように、また自分自身が正しいことをしていると判断できるようになってほしいと思います。
 「おしゃれは自分のため、身だしなみは他人のため」という言葉があります。ルールは守らなければならないという他律という面もありますが、マナーはきまりというよりは相手への思いやりが優先し、自律的で豊かな集団生活、社会生活へとつながります。
 ルールを守るだけでなく、望ましいマナーを身に付けた大人になることを願います。